⑥逢坂誠二(立憲民主党衆議院議員 北海道8区)

「もふ萌え図鑑」第6回は、衆議院議員 逢坂誠二さんの登場です。

タイトル:Constellation 星座
歌・演奏:逢坂誠二

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2018年9月29日、恵比寿にほど近い都内某所にて、逢坂誠二さんのインタビューを行いました。今回は、音楽好きで知られる逢坂さんのインタビューをレコードという媒体に見立ててみました。CDではありません。今や見たことない方もいるでしょうが、昔ながらのLPレコードです。インタビュー内容をそれぞれのテーマ別に曲に見立てています。それぞれのテーマ=曲ごとに逢坂さんが演奏していると思ってください。歌、演奏はすべて逢坂誠二さん、バックコーラス、バックバンドはもふメンです。
LPレコードには表と裏、A面とB面があります。A面には8曲、B面には7曲を収録しました。A面では政治に関する曲を、B面は逢坂さんのお好きなもろもろに関する曲をフィーチャーしました。A面、B面、通しで聞くもよし好きな曲だけ聞くもよし、楽しみ方はそれぞれの自由、思いのままです。
それではじっくり曲をお楽しみください!

逢坂誠二

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(1)3つの嫌いなもの

嫌いなものが3つあって、ひとつは蛇。子供の頃は周りにふつうに蛇がいたんですが、ある時期からダメになりました。
それから公務員が嫌い。seiji_a1最近はそうでもなくなってきているのですが、公務員は何のために仕事しているのかよくわからない。公務員の地位というのはやっぱり安定しているから、本来は多少挑戦的なことをやってもクビになりません、だからこそ地位を安定させるという側面があるのだと思う。でも逆に、安定していることに胡坐をかいて自分たちは事なかれ主義でほとんどチャレンジするような仕事はしないのが公務員、少なくとも30年前の公務員はそうだったと私は思っている。だから公務員が嫌い。
それからもうひとつ嫌いなものが政治。政治は大嫌いで、今はそのようなことは言っていられないけれど、政治が嫌いだったからから今のような自分ができたのだと思っています。中学高校生のころから政治家になりたいと思っていたら、私は今の仕事をしていなかったし、今のようなものの見方もしていなかったと思う。
政治は胡散臭い、胡散臭い理由もだんだんわかるようになってきたのですが、そうは言いながらも公務員も政治家もいなければ社会が動かないのは事実。そういう意味では嫌いだって言いながら幸か不幸かかかわっているので、今は頭のてっぺんから足先までどっぶり浸かっています。

(2)ニセコへ帰る

大学4年生の秋に父親が病気になってニセコに帰ることになった。その時、転勤がない就職先はあまりなく、しかたなしに町役場に勤めることになった。
正直言うとショックでしたね。嫌いな公務員になったというショックと、それから自分が想像していた以上に公務員の仕事がひどかった。公務員は毎年同じ仕事をしているのだから、今年より来年、来年より再来年と仕事の質が上がるはずなのに、まったく上がらない。何か問題が起こることがわかっていても事前にそれに対応しようとしない、論理的な議論をしない。
私が勤めたのが田舎の役所だからそうだったのかと思ったが、それは違いました。都道府県でも霞ヶ関でも同じだった。霞ヶ関ではさすがに論理的な議論をしているようには見えるけど、ああいう議論は俺から見たら論理的とはいえない。だから公務員はやはりひどいと思って、家庭の事情が落ち着けばやめようと思っていました。
役所に入って少したってから、ある大学の法学部の先生に出会ったのですが、その先生がすごくフィールドワークを大事にする先生だったので、現場から法律を作ろうとしているひとがいるんだ、ということに気が付き、せっかく公務員という立場を与えられたのだからということで北海道大学とか慶応大学の研究室に出入りしながら法律の勉強をすこしずつ始めた。それでも、いずれは公務員を辞めようとは思っていましたけど。

(3)ふるさと創生事業

私が29歳の時です。その時ふるさと創生一億円事業という政策が実施された。全国の市町村が当時3,300あったのですが、規模の大小に関係なく自治体ごとに一億円を配りました。
私は何にお金を使ったのかではなく、どのようにお金の使い道を決めたのかに注目していました。
小さい自治体は大体町長さんや村長さん、議会や議長さんが上意下達的に決めるというケースが結構あった。でも政策決定のプロセスがしっかりしているところは、せっかく自由になる一億円があるのならば、ということで住民の委員会を作るとか住民の意見を聞くなど、決めるプロセスが非常にしっかりしていた。そのように全国に差があるということに気が付いたときには愕然としました。
日本では税金を納める仕組みは日本中どこにいても、たとえば稚内にいても愛知にいても、沖縄にいても函館にいても同じ。でも税金を使うことについては、それぞれの自治体の職員や首長の力量やプロセスの差によって有効にも使えるし無駄にもなる。そして住民の多くの皆さんはその差異がわからない。公務員も認識していない。それに遅ればせながら気が付いた。それに気づいた途端、恐ろしくなった。公務員という仕事はものすごく大事だということに気が付いて、それ以降公務員を辞めたいとは思わなくなりました。

(4)ニセコ町長になる

それ以来、いやそれまでもそうでしたけれど真面目に仕事をするようになった。そうすると、今度は今の上司のもとではちゃんとした仕事ができないことに気づいて、何度か辞表を出したのですが引き止められて35歳までは頑張ってやりました。しかし、やっぱりだめだということで思い余って自分が上司になろうと思って町長選挙に出ました。
背中を押してくれたのは田中秀征さんです。直接背中押してもらったわけではないんだけれど、彼がちょうど北大の大学院の学生だったとき田中さんの話を聞く機会があって、1994年の7月だったかなあ。「僕は選挙弱いんだよね、勝った数より負けた数が多い」というような話を聞き、自分も吹っ切れたような気がしてチャレンジすることが大事だと思いやることにしました。

(5)そして国会へ

ニセコ町長時代に考えていたのは徹底的な情報公開、そして人間に投資すること。この二つが大きな柱でした。とにかく人に投資することを10年やり続ければ地域は変わるという確信がありました。
ただ、その気持ちが変わったのが小泉政権の時。地域でどんなに頑張っても国政に自治に対するきちんとした認識がなければ、積み上げたレンガはあっという間に崩されるということがよくわかりました。ヨーロッパの国政と自治の関係と日本のそれを比較すると、日本では国政レベルでほとんど自治に対する認識がない。日本では自治は民主主義の核をなすものではなく、国が何かやらせる、コントロールする対象になっていた。これでは日本の民主主義はよくならないと思って国政に出ました。

(6)2017年9月、運命の日

(無所属で選挙に出ることは)全く怖くはないね。その逆ですよ。そうだ、ちょうど去年の今日ですね。去年の9月28日にあんなことになって、ここでは詳しくは言いませんが、私は民進党から捨てられて棄民となった。民進党から希望の党に行きなさい、って言われたけど希望の党の政策も知らなければ党首のことも知らない。逆にそんなところでやるという勇気がなかった。
9月29日の朝早く起きて、これはやっぱり無所属でやるしかないと思ってすぐに地元に戻った。地元の支持者のみなさんに集まってもらって、今回のことについてどう思うか聞いたのですが支持者はありがたいと思いましたね。というのは私のことを忖度してくれるんです。それしか選択肢がないとわかっているから「希望の党でやったらいいよ」と言ってくださる方がいました。それから1/3くらいの人は「難しい局面だ、何とも言えない」、残りの1/3くらいの人が「無所属という選択肢もあるのではないか」と言ってくれて。その時は心の中でキラキラと光りましたね(笑)。「いいぞ、いいぞ」って。それでは、表明は早い方がいいということで、29日の午前中にマスコミを集めて無所属で出るという宣言をしました。
それを報道ステーションが聞きつけて函館に取材に来たのですが、あれは報道ステーションの嗅覚ですね。私が函館で支持者回りをしていると、せっかく函館来たんだから函館らしいところ歩いてください、と言われて支持者の家から家に行くときに海を歩いて撮影しました。ちょうど風が強くてね。
支持者の皆さんもありがたくて、カメラしょって飛び込みで家に入るんだけど「あっちいかないよね、あっちいかないよね」って言うんですよ。だから「あっち行かないから」って。
ただあのような状況が良かったとはいえないし、理不尽だとは思いましたね。私は当事者だからどんな状況になることも覚悟してやっているけれど、党の職員の方とかその他にいろいろと関わっている人たちなど9月28日の決断に翻弄された方はすごく多いと思います。
希望の党と自民党だけだったら、多分行き場のない有権者が山のようにいたと思います。私は地元の人たちを見ていてどうしようもない状況になるなあと感じていた。でもひどかったねえ。

(7)立憲民主党

立憲民主党に参加してからは、自分がやりたい政策をやれています。
ひとつは原発の問題。函館市民の多くは大間原発に反対しています。だが、函館市民の間では、大間原発の工事を再開したのは枝野さんだという誤解がありました。そのような誤解もあって、2012年の選挙では私は逆風の中での選挙になった。それから時間がたち、枝野さんとも十分に話をしたし立憲民主党は原発ゼロ法案を国会に提出しました。既存の政党とは違う考えを持っていて、原発については完全にゼロにするのが立憲民主党でありその党首が枝野さんだということを函館の市民にもわかってもらえたのではないかと思います。原子力の政策は、日本のこれからの進むべき方向を明確に打ち出せるようになりました。
このようなことは前の民進党だったら大きな声では言えませんでした。立憲民主党になったからこそ明確に言えるようになりました。
もうひとつは公文書管理です。公文書管理の重要性を、みなさんわかってはいるのだけれど選挙では票になりにくい。今年の9月、私はアメリカに行く予定でおりましたが、北海道で地震があったためにキャンセルしたんです。私が行こうと思っていた公文書管理のプログラム、そのまま枝野さんが行ってくれた。そしてアメリカで記者会見をしたときに、公文書管理のためには、独立した機関を作らなくてはならないと言ってくれました。私が依然からずっと言い続けていたことですが、代表がそれを言ってくれたのはありがたかった。
そういう意味ではやろうとしていることはやれていますね。

(8) 政権交代、そしてそれから

立憲民主党はこの1年はある種のご祝儀とか出発の加速度みたいなものがありましたが、これからはそうはいかないだろう。もう少し工夫が必要だと思います。これから人数が増えていくわけだしマネージメントをどうするのか、チームプレイをどうするかが問題になります。民主党の失敗はまさにマネージメントができていなかったことにある。
私は2005年に初めて政党という組織に属しましたが、それまでは政党に縁がなかった。民主党はあれほどテレビにも取り上げられる政党にもかかわらず、新人議員への指示など何もできていなかったのには驚きました。政権交代した後も、それぞれの議員さんは優秀だからものすごく頑張っていた。ただ、組織はそれぞれの人が150%の力を出したとしても組織全体として結果が最適になるとは限らない。部分最適という言葉があるけれど、部分最適の合計が全体最適になるとは限らないということをわかっていなかったんだと思いました。
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(政権交代は)そうねえ、簡単ではないね。簡単ではないけど、与党を支持しているみなさんさえ本当に満足しているのか考えると満足していないのではないか。だから今回の総裁選で石破茂さんが党員票をあれだけ獲得した。不満が鬱積しているとは思うので、そのきちんとした受け皿になれるかどうかということだと思います。
簡単ではないけれど、それをやらなければこの国はおかしくなると思います。
私は実は大平正芳が好きなんです。大平さんは私が大学2年生のころに亡くなったけど、総理になってすぐに、「日本は高度成長の壁に当たってその後どうするかという展望がないんだ」と言っていた。私も同感で、これからどうなるのか結果的に描かないままに30年間来てしまいました。それを考えるのが私たちの仕事でもある。
原発ゼロはその象徴のようなものであって、単にエネルギーを原発から再生エネルギーに替えるということではなくて、社会のありかたそのものを変えていくことに繋がるのです。
大平正芳のほかにもう一人好きなのは石橋湛山ですが、彼は、日本が戦前海外に領土を拡大しようとしていたときに、まったく逆の主張をしていました。小さい国日本でよいと。だからそういった国家観をもう一度立て直さなければいけないのではないかと思っています。小さい国だけど、世界の中で存在感のある国になるにはどうしたらよいのか。それを考えていかなければなりません。

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【B面】

(1) 音楽との出会い

田舎育ちだったからラジオが好きでラジオをよく聞いていました。昼間は地元ローカルを聞くんだけど、夜になると電波が悪くて地元局が聞けない。夜には逆に電離層というのができて、遠くの放送局がよく聞こえるようになります。あべ静江が東海ラジオでやっていた番組とか北海道で聞こえるんですよ。深夜放送の全盛時代ですが、小学校5年生くらいからラジオで音楽を聴き始めて、聴いていると普段テレビでやっている音楽とは全く違う音楽を聴くことができる。特にボブ・ディランについては、最初聴いたときに「なんだ、このお経みたいなのは?」と思ったのですが何度も聴いているうちに中毒になるんですよね。音符にできない音というのか、唸るとか伸ばすとか韻を踏むとか、歌詞の良さ!「Like a Rolling Stone」という曲があるんだけど、“How does it feel”とか”make a deal“”meal”とか韻を踏んだ音が耳に残りました。
ノーベル賞受賞後に、ハーバード大学の先生などが文学的に優れているとか評価していたけれど、多分ボブ・ディランはそんなことを考えていないと思う。いろいろと工夫はしていると思うけれど、考えずにいいものが出てくるというところに私はすごさを感じます。ストーンズは結果的にあの枠を超えられないのですが、ディランは枠を常に壊していく。
大学3年生か4年生の時に、パット・メセニー・グループが札幌に来ました。その頃はあまり有名ではなかったから、コンサート終わった後に楽屋に行きました。楽屋の入り口で待っていて、いろいろな話をしましたよ。その頃、私はギターを弾いて、「私もギターを弾くんだ」と言ったら「本当かよ」と言って私の手を取ってタコができているのを確かめて、「ああ、本当なんだな」というような会話をしたことを覚えています。ただ、パット・メセニーがジーンズ穿いていたんだけど、そのジーンズに縦にプレスがびしっと入っていて、この人は本当にファッションに関心ないんだなと思いました。

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(2)ファッション

基本的に着るものは、あまりたくさんのものを着たくないというか、常に同じ服でいいと思っています。あの、洗濯しないという意味じゃないよ(笑)。どこかに服を買いに行っても選ぶのが面倒くさいというか。これって決めたら、同じ店に電話して「同じジャケットを3着用意して」と言うのですが、「またですか?たまには違うのにしたらどうですか」と言われて「面倒くさいからいいよ」と答えています。
高校生のころから社会に出て、どうしても背広を着なければならない仕事についたらブルックス・ブラザーズ、と決めていました。本当は革靴を履くような仕事をしたくなかったんだけど、結局そのような仕事になってしまって。ブルックス・ブラザーズはトラッドではあるのだけれど、今流行っているような細身のトラッドではなくて、古臭いアメリカン・トラッドなんです。でも最近そういうデザインがないから、基本、同じものを着ています。
(逢坂さんのネクタイシリーズ・ヘアスタイルにも注目)seiji_b2-2

(3)ヘアスタイル

髪型のこだわりは、実はないっていえばないし、あるっていえばあるというか。基本きちんとしないこと。ただときどき気分転換に丸坊主にしたいと思ったり。
昔まだ町役場の職員だったころ、三分刈りの時代がありました。その時、ある役所に補助金のお願いに行ったら「お前のその頭、なんだ!」って言われて。「そういう威圧感のある頭でお願いに来るとは何事だ」と言われました。それ以来、そこそこの頭にはしていますけど。
ある高齢の政治評論家に「お前の髪が左翼なんだよな」と言われました。「お前の政策は必ずしも左ではないのに、髪が左翼だからそう見られんだよな。自民党の何とかとか何とかくらいの頭にしたらいいのにな、油くらいつけろ」って。
だからまあ、こだわっていないようでこだわっている。

(4)アップル教

(携帯電話を見せる)
これはiPhoneXS。Apple Watchは製造が追いつかないのですが、もうすぐ最新機種になります。基本こういうのが好きなんです。
以前はアップルについてはあまり良い印象を持っていなかったのですが、今は完全にリンゴ教。
なぜ好きかというと、やはりシステムが完成しているというのか、考えられている。そして捨てる、という思い切りのよさがいいですね。日本のものはあれもこれもと機能を詰め込むのですが、その結果うまくいかない。それに対してアップルは機能を絞り込んでいるというか。(iPhoneを指して)たとえばこの、外につながるコネクタがひとつしかない。それでも結構なんとかなる。だから選択して捨てるというのがすごいなあと思っています。そのうち飽きるかもしれないけど。
それともうひとつ、常に入力方法を変えています。つまり音声入力もあればキーボードを使ったり、画面入力する時期もあって、そうすることによって一つのものにあまりとらわれないようにしています。ソフトもワード(Word)だったりページズ(Pages)を使ったり幾つか異なるものを使う。つまりは好きなわけです。
健康管理でいうと、(Apple Watchを見せながら)これもリンゴ教でリング(ring)なんだけど、外側の輪が今日消費すべきカロリーで、黄緑のところはどれだけトレーニングしているかを示しています。そしてこの水色のところは1時間に一回は立ち上がれというものです。ずっと座っているのは体によくないし、今日はきちんと12回立ち上がっています。

(5)ペーパーレス

今、紙を持たないようにしています。チャレンジなんですけど。
例えばレシート、昨日奥尻島で帽子を買った時のレシートです。ATMでお金を引き出した明細とか。それから自分が出したハガキもすべてデータ化して整理しています。
まあ、でもこれは危ういですよ、自分で使っていてそう思う。
今すごく良いスキャンの機械があり、3万円くらいで買えます。「自炊」って言葉をご存知ですか?裁断機で本の背表紙を落として、それでスキャンで本を読みこみ、タブレットに取り込む。その裁断機も買いました。奥尻島の高校が全国から生徒を集めているのですが、そのパンフレットもすぐにこうやって取り込みます。こうすれば、どこにいても見ることができるし、こういうものは大好きですね。
他にも枝野さんの例の本(『緊急出版、枝野幸男、魂の3時間大演説』)とか文藝春秋、辻井喬の大平正芳さんの本『茜色の空』とかそれから『巨人の星』、『明日のジョー』も。本当に便利ですよ、目にはよくないけど。あとはちばてつやが好きなの。それからこういう本もある。『悪だくみ』、『総理』。ネタ本ですよ。
それからこんなマンガもある。富山の八尾の「おわら風の盆」の『月影ベイベ』。
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(6)逢坂クラスタについて

(立憲もふもふ党については)あまりよくは知らない。何となく応援団なんだろうな、というのはわかっている。それ以上に詳しくは知らないけど「もふもふ」という響きはコアラの毛並みたいでいいなあ、と思っています。
私は芸能人ではないので、どんな形であれ、自分がやろうとしていることとかやらなければならないことを理解してもらうことが大切です。今日のような接点もあるだろうし、また別の接点があるだろうと思うけど。とにかく多くの場面で理解してもらうことを考えているので、そういう点からいうと、キャーと言われようがワーッと言われようが、つっけんどんに「お前なんか嫌いだ」と言われようがぼそっと「逢坂さん、応援しています」と言われようが、どうやったら私の想いが伝えられるかという点では応援してもらえるのはうれしいことですよ、うれしいことです。
支持者にはあまりたくさんのことを一度にやって欲しいとは思っていません。振り向いたら支持者がいて「あ、どうも!」みたいなことかな。ちょっと贅沢かな。たとえば今回のこのようなお話しする機会とか誠二塾に来てもらうことなども含めて、実際に具体的な活動はしていなくとも、切れない信頼感ができていくと非常にありがたいね。

>▶ index

(7)ライナーノーツ

その昔、LPの時代にはレコードにライナーノーツという解説文や歌詞を記した紙、資料が入っていました。CDにも一時入っていましたが今はほとんどありません。ですが、今回はLPの見立てですから、やはりライナーノーツを書くことにしました。
このたびの一時間半にわたるインタビューで、逢坂さんは政治からファッション、音楽に至るまで多くのことを語ってくれました。蛇の話が出たときには、作家有島武郎の話が出ました。有島武郎はニセコに農場を所有したことがあり、今でもニセコ町には有島武郎の記念館があります。なんだか逢坂さんとのかかわりは蛇嫌いという共通点のみならず、もう少し深いものがありそうです。
デジタル・ガジェットの話をする逢坂さんは終始満面の笑顔で話が尽きず、心底お好きなんだろうなあと感じました。さすがはパソコン通信以前からPCをいじっていた逢坂さんです。ほかにも、現在のニセコへの想いや趣味の音楽、本の話、プチ鉄、食べ物などなど、演奏してほしい曲=テーマがまだまだあります。もふメンもう少しバックコーラスの練習に励めば、2枚目のレコードが出せないかなあ、と心のうちで密かに考えているところです。
レコードタイトルの「星座 Constellation」は、逢坂さんが子供のころにあこがれていた天文学との関連からつけてみました。また、有島武郎に『星座』という小説があることを、逢坂さんの本で初めて知りました。逢坂さんがたまに星空を見上げた時に目に映る星座にも何か関係があるかもしれません。あるいは関係ないかもしれません。
最後になりましたが、逢坂誠二さん、逢坂事務所の谷口さん、このたびはお忙しい中もふ萌え図鑑へのご協力ありがとうございました。今回のもふ萌え図鑑も、もふメンみんなの力で完成しました。本当にありがとう!


【略歴】

1959年4月24日 虻田郡(あぶたぐん)ニセコ町生まれ(59歳)
現在衆議院議員(立憲民主党北海道8区)

1977年 北海道倶知安高等学校卒業
1978年 札幌市の予備校で1年浪人
1983年 北海道大学薬学部卒業
1983年 北海道ニセコ町職員
1994年11月 北海道ニセコ町長(2005年まで3期)
2000年12月 まちづくり基本条例を制定
2002年9月 北海道知事選挙へ出馬要請を受ける、断る
2003年1月 民主党出馬を請われる
2003年2月2日 知事選不出馬を正式表明、
2003年2月12日 騒動の責任を取るとして辞意を表明、
  人口4600人から辞意の撤回を求める3000名分の署名が
  届けられて同年2月26日、撤回。
2004年 参考にしたい自治体第1位(内閣府調査)
2005年9月 衆議院議員当選1回目(比例)
2009年8月 当選2回目(北海道8区)
2009年12月 首相補佐官(地域主権、地域活性化、地方行政担当)
2010年9月 総務大臣政務官(菅改造内閣)
2011年1月 総務大臣政務官(菅改造内閣)(留任)
2014年12月 衆議院議員当選3回目(北海道8区)
2017年10月 衆議院議員当選4回目(北海道8区)
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